横川山水源の森の復元
長野県岡谷市
水源林のDATA
所在地 | 長野県岡谷市字横川 |
---|---|
契約年度 | 昭和36年度~ |
契約面積 | 476ha |
造林地所有者 | 岡谷市外 |
造林者 | 同上 |
植栽樹種 | ヒノキ(1%)・アカマツ(7%)・カラマツ(90%)・その他(2%) |

<アクセス>
鉄道 | JR中央本線「岡谷駅」下車、車で15分で横川山入口、徒歩50分で造林地到着 |
---|---|
車 | 中央自動車道「岡谷IC」から10分で横川山入口、さらに車で10分で造林地到着 |
-
水との関わり
横川山は岡谷市の大切な水源として6,000m3/日の流水を供給し、地下浸透水も含めると岡谷市の水道水の約63%を占めており、安定的に水を供給しています。又、地域の森林づくりを担う横川山運営委員会では水源林造成事業はもとより市による水源の森保全事業、横川山水源涵養管理事業等をあわせて岡谷市の協力を得ながら年間約100haの事業を計画的に実施しています。なお、横川山は平成7年8月に「水源の森百選」に選ばれました。
”ココ”の特色
岡谷は明治から昭和初期に製糸業が盛んで最盛期には全国生産量の25%を占め「シルクの岡谷」としてその名が世界に響き渡り、外貨の半分を獲得するなど我が国の発展に大きく貢献しました。その為、横川山では製糸業の燃料供給地として伐採が繰り返され、昭和20年頃には殆ど切り尽くされ、豪雨時には氾濫を繰り返し、渇水時には水無川となっていました。また、昭和37年に発生した山崩れで32万m3の崩壊土砂が河川を遮断し、翌年の台風2号で堆積土砂が一挙に流出し下流に甚大な被害を与えました。
戦後、国の施策として国土の保全等が叫ばれると、横川山も保安林政策の一環として昭和24年より水源林造成事業を制度化し積極的に事業推進を図り、昭和26年以来40ha/年を越える造林事業を実施し、昭和32年に官行造林、昭和36年には水源林造成事業、他に市による保全事業等に取り組み、薪炭材主体の林業から治山治水等公益的機能を有し、景観的にも優れた森林に生まれ変わりました。
間伐実施後の林況 -
過去から現在そして未来へ
植栽以前(昭和32年)
薪炭材として伐採が繰り返されて災害が度々起きていた頃です。
この4年後の昭和36年から水源林造成事業を実施し、カラマツなど約122万本の苗木を476haに植栽しました。
現在(平成23年)
平成7年から路網の整備を行い、平成21年までに約9kmの作業道を作設しました。今後も、効率的な施業に資する路網の整備に取り組む予定をしています。
また、平成20年には搬出間伐を行い、素材を販売しましたが、今後も搬出間伐を計画的に実施し、健全な森林づくりを進めていきます。
関係者からのメッセージ
※ このメッセージは、「全国の水源林50選」策定当時(平成24年)のものであり、現在の団体名や役職名等と必ずしも一致しない場合があります。