国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林整備センター Forest Research and Management Organization

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大浅柄山水源の森と簡易水道

岐阜県郡上市

水源林のDATA

<アクセス>

鉄道 第3セクター長良川鉄道「相生駅」下車、徒歩50分で造林地到着
バス 「相生停留所」下車、徒歩50分で造林地到着
東海北陸自動車道「美並IC」から国道156号を経て20分で造林地到着
  • 水との関わり

    大浅柄山は長良川上流の「水の郷」として知られる郡上市八幡町の高賀山の山麓に位置しています。同市八幡町(旧郡上郡八幡町)並びに美並町(旧郡上郡美並村)の重要な水源地であり、下流に設置された郡上市北部簡易水道は、市内の5水道のうちで二番目に多い370m3/日を供給しています。なお、大浅柄山は平成7年8月に「水源の森百選」に選ばれました。

    ”ココ”の特色

    大浅柄山は郡上市西乙原地区の住民の所有地で、その沢水は昔から隣村である美並村住民の貴重な水源として利用されていました。しかし、炭焼きや各戸の炊事に使う薪などのための伐採が続いた結果、昭和30年代中頃には大面積のハゲ山となりました。雨が降れば谷は濁流になり、止めば干上がり、住民間で水争いも起きるようになってしまいました。生活のためとはいえ、荒廃してしまった山を憂いていた西乙原地区の住民たちは、水源林造成事業に希望を託し、森林開発公団(当時)の力を借りて植林を始めました。植えた木々が成長し山肌を覆うようになると、一時は涸れていた沢に年間を通して水が流れるようになりました。安定した沢水は、水に不自由してきた美並村の水源として、簡易水道を整備できるまでになりました。美並村の住民は水の復活に深く感謝し、村外にも関わらず村の費用負担により、水源林に通じる林道の舗装を行いました。

    郡上市北部簡易水道の写真
    郡上市北部簡易水道
  • 過去から現在そして未来へ

    植栽当時(昭和36年)と現在(平成23年)の比較写真

    植栽当時(昭和36年)

    昭和36年からスギ・ヒノキ約84万本の苗木を約280haに植栽しました。

    現在(平成23年)

    平成21年度には約28haの間伐を実施し、平成23年度以降には、さらに約30haの間伐を予定しています。今後は針葉樹と広葉樹の入り混じった、多様で健全な森林づくりを進めていきます。

関係者からのメッセージ

造林地所有者 武藤信正さんの写真

~山の肥やしは人の足跡~

造林地所有者 武藤信正さん

「木は一本あたり、毎年100円づつ価値が上がっていく」と言っていた親父のもとに、街での仕事を経験して戻ったのが昭和39年でした。山での仕事は、役場の給料の倍以上もらえたし、親父の山仕事の手伝いをしていたので抵抗はなかったですが、苗木を背負って山を上がるのだけは辛かったです。材価が良かったのはもちろんのこと、戦後の混乱期に現金が紙切れ同然になるという経験をした親父たちにとっては、財産形成という意味でも山づくりは魅力的だったようです。最も身近な山という銀行に、山仕事という投資をすることによって、私も将来はこの山からの収入で十分に暮らせると思っていました。当時思い出に残るのは、西乙原地区の山持ちは住民の4割で、あとの者は焚き木取りが許されていたのですが、水源林造成事業の話が持ち上がると、燃料が取れなくなるのは困ると反対する者が現れました。そこで造林に不適な地形の悪い部分を契約外とし、焚き木の採取地を確保することで了承してもらいました。山が出来上がってくると水が一定して出続けるようになり、夜中にこっそり田んぼに水を引いては水争いをするようなことも無くなりました。最近は山に興味がある人が少なくて寂しいですが、自分が植付をした木はやっぱり最後まで気になります。山にもっと活気が出て人が通うようになり、木材の良い売り先や利用法がたくさんできるようになればと思います。山の肥やしは人の足跡ですよ。

よみがえった水源の沢水の写真
よみがえった水源の沢水

※ このメッセージは、「全国の水源林50選」策定当時(平成24年)のものであり、現在の団体名や役職名等と必ずしも一致しない場合があります。

問い合わせ先

国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林整備センター 岐阜水源林整備事務所

岐阜県岐阜市六条江東二丁目5番6号(ぎふ森林文化センター3階)

tel:058-275-3643 fax:058-275-3645