国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林整備センター Forest Research and Management Organization

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水源林は市民の憩いの場

長崎県長崎市

水源林のDATA

<アクセス>

鉄道 JR長崎本線「長崎駅」下車、車で30分、小ヶ倉ダムを経由して造林地到着
バス 長崎バス ダイヤランド行「水源池下」下車、徒歩20分で造林地到着
ながさき出島道路「出島トンネル出口」から20分で造林地到着
  • 水との関わり

    長崎市上水道の重要な水源である小ヶ倉(こがくら)ダムは、当時えん堤が日本で一番高い水道用ダムとして大正9年に起工されました。翌年にはダム上流部が水源涵養保安林に指定され、当水源林が位置しています。現在は下流の鹿尾ダムの取水と併せて小ヶ倉浄水場からは17,000m3/日の水が給水されており、44万都市である長崎市の水瓶として水道水を安定的に供給しています。また、水源池上流部の森林は市有林や個人有林となっており、戦中戦後の伐採やマツクイムシ被害等により荒廃森林が拡がったものの、県・市による森林整備や水源林造成事業等により、地元の協力を得ながら森林の保全・整備が計画的に進められてきました。なお、この付近の森林は市街地に近いことから長崎市民の森として親しまれ、また水源池周辺は長崎県により特に重要な水源として平成8年に「ながさき水源の森」の一つに選ばれました。

    ”ココ”の特色

    造船等の重工業により発達した長崎市は、明治24年に横浜、函館に続いて日本で三番目に近代水道が整備され、人口増や工業用水のため、いち早く水源確保の必要があったことから大正時代には小ヶ倉水源池が作られました。一方、戦後の人口増加で長崎市街地周辺の山は宅地開発され山頂近くまで住宅が建てられたものの、水源池周辺は水源涵養保安林として開発から守られ、今では市民の憩いの場として遊歩道やレクリエーション施設も整備されています。なお、昭和57年7月の長崎大水害では眼鏡橋が流されるなど市街地において甚大な被害が発生したものの、森林が保全整備されていた小ヶ倉水源池の流域では著しい被害が少なかったことから、改めて森林の大切さを市民の人々が認識することとなりました。

    間伐の実施状況の写真
    間伐の実施状況
  • 過去から現在そして未来へ

    植栽当時(昭和47年)と現在の状況(平成23年)の比較写真

    植栽当時(昭和47年)

    水源池上流部のマツクイムシ被害地等40haにおいて、昭和47年スギ・ヒノキなど約12万本の苗木を植栽しました。

    現在の状況(平成23年)

    平成7年度から路網整備を行い、平成21年度までに1kmの作業道を開設し、今後も路網整備に取り組んでいく予定です。また、平成21年には搬出間伐を7ha実施し、34m3の材を販売しました。

    今後は災害に強く、多様で健全な森林づくりを進めていきます。

関係者からのメッセージ

長崎南部森林組合 組合長 山口寛さんの写真

~長崎大水害で水源林は下流水源池を守った~

長崎南部森林組合 組合長 山口寛さん

長崎大水害では299名の尊い命が奪われ、そのほとんどが斜面都市としての長崎市の特性が災いした土砂災害からの死者・行方不明者でありました。当時、私は市議会議員をしており災害復旧に全市一丸となって取り組んだことを昨日のことのように思い出します。そのような状況の中で森林が保全されていた小ヶ倉水源池周辺の被害が少なかったことは、雨量の多少だけではないことを感じております。人間は自然には逆らえないものの、健全な森林を配置することにより自然の猛威に対する緩和材として森林が機能したからだと思われ、水源保全もさることながら防災上からも森林の保全整備がいかに重要であるかを今更ながらに声を上げて皆様に伝えたいです。

水害で流された眼鏡橋(昭和57年)の写真
水害で流された眼鏡橋(昭和57年)
現在の眼鏡橋の写真
現在の眼鏡橋

※ このメッセージは、「全国の水源林50選」策定当時(平成24年)のものであり、現在の団体名や役職名等と必ずしも一致しない場合があります。

問い合わせ先

国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林整備センター 佐賀水源林整備事務所

佐賀県佐賀市本庄町大字本庄278番4(佐賀県森林会館2階)

tel:0952-26-4351 fax:0952-23-4300